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重衡斬られ

 鎌倉に着いた重衡は狩野介宗茂に預けられていたが、南都奈良の法師たちがうるさく言うのでついに奈良に送られて斬られることになった。鎌倉に着いて一年三ヶ月の後のことである。再び都に帰ってくることになるが
  「 都へは入れられずして、大津より山科どおりに、醍醐路をへてゆけば、日野は近かりけり 」
 この日野に重衡の妻、大納言の佐殿が、壇ノ浦で平家一門と共に入水したが関東の武士に引き上げられ、旧里に帰って姉とひっそり住んでいるのである。重衡はそれをどこで聞いたのか、護送役の武士の許しを得て、住みかを尋ねて行き、最後の別れをする。
 重衡は木津川の河原で斬られるが、大納言の佐殿は空輿を急ぎ木津川に走らせる。斬られた重衡の首は般若寺大鳥居の前に釘づけにして架けられたが、身体は河原に捨てられていた、それを拾って日野に連れ帰り、首も重源上人にお願いしてもらいうけ、日野の法界寺で供養する。
 「 首もむくろも煙になし、骨をば高野へ送り、墓をば日野にぞせられける。」
 墓の場所を見つけるのに苦労した。右に行ったり、左に行ったり、例によっていつものように目くらめっぽう歩いていたら偶然墓の前に出た、その後二回、計三回出かけたが毎回同じ調子であった。
 一方法界寺の方は大変わかり易い。大変有名なお寺なのに、少し市内から離れているので観光客が少ない、また行ってみたい所である。


     写真は日野法界寺と重衡の墓

日野法界寺 重衡の墓

重衡東下り

平重衡が梶原景時に護送されて、三月十日都を発ち三月二十七日鎌倉に着くまでの道行文はきれいな美文である。その大津に出るまでのところ、
 「 生け捕りにせられて都へかへるだに口惜しきに、いつしか関の東におもむかれけむ心のうち、おしはかられてあはれなり。
 四宮河原になりぬれば、ここは昔・・・・・蝉丸の関の嵐に心を澄まし、琵琶を弾き給ひしに、博雅の三位といっし人、風の吹く日も吹かぬ日も、雨の降る夜も降らぬ夜もみとせが間歩みをはこび、立ち聞きてかの三曲を伝えけむ、わらやの床のいにしへも思いやられて哀れなり。
 逢坂山を打ち越えて・・・・・」
 ここはなんとしても一度歩まねばならないところである。京津線の追分駅で下車して大津へ向かって歩き始めた。左右は高くは無いが、山の間を進む道である。左には国道と名神が並行して走っている。京津線はいつのまにかトンネルに入って見えない。名神も左にぐっと逸れて見えなくなり、全く狭い山間の道となり大谷駅に着く。
 駅のすぐ左に蝉丸神社がある。神主らしい人は誰もいないが訪れる人は三々五々あるようである。近くに逢坂の関跡の碑があるが、関はもう少し先にあったようだ。道は下りになり京津線もトンネルから姿を見せる。
 関蝉丸神社下社が線路横にある、有名な(関の清水)もここにあり、逢坂の関もこの近くにあったらしい。

      写真は蝉丸神社と逢坂の関跡の石碑

蝉丸神社 逢坂の関跡の石碑

四宮河原

 京で義経に敗れた木曽義仲が大津にいる今井兼平を求めて、四宮河原を落ちていったのは寿永三年正月二十日であった。
 「 去年信濃を出でしには五万余騎とぞきこえしに、今日四宮河原をすぐるには主従七騎となりにけり」
 その後、一の谷の合戦で生け捕られた本三位中将平重衡が鎌倉へ護送されて、この四宮河原を通るのが寿永三年三月十日、義仲のわずか五十日ほど後である。
 山科の東,このあたりを四宮と呼ぶのは仁明天皇の皇子人康親王(さねやす)が出家してここに隠棲したからである。親王は四男、四宮であった。
 JR山科駅のすぐ東に諸羽神社がある。神社に向かって、参道の右手に親王の隠棲の地を示す石碑が立っている。神社を出て三百メートルも行くと京都と大津を結ぶ、旧三条通りに行き当たる、ここを左、大津の方へ曲がると六地蔵の一つ、山科六地蔵徳林庵の前に出る。徳林庵の入り口の右に人康親王と蝉丸の供養塔がある。
 徳林庵の西の道を北へ行くと十禅寺に突き当たる、ここに人康親王の御陵があるそうだが、二度ほど行ってみたがいつも門が閉まっていて御陵は見ていない。

     写真は人康親王の隠棲地を示す石碑と供養塔

人康親王の隠棲地を示す石碑 人康親王の隠棲地を示す供養塔

松原通り

 前々からこの通りを歩いてみたかった。ここが昔の五条通りであると聞いたからである。それでは今の五条通りは昔の何通りか、六条坊門小路らしい。
 松原通りと交差する高倉通りから西に向かって歩いていると、新玉津島神社があった。案内板によると藤原俊成が和歌の浦から玉津島神社を自邸内に勧請したもので、このあたりは俊成の屋敷跡であるという。
 平家が木曽義仲に追われて都落ちする時、途中から薩摩守忠度が引き返してきて、俊成に日頃詠み置いた和歌の草稿を託し、その中の1首が、
   さざなみや、滋賀の都は あれにしを
     昔ながらの やまざくらかな  詠み人知らず  として千載集に選ばれたのはよく知られている。その忠度の引き返してきたのがこのあたりであると説明にある。
 ここから更に西へ行くと西洞院通りに五条天神社がある、字の消えかかった案内板によると牛若丸と弁慶が初めてあったのがここである、これは義経記にのっているという。五条の橋の上では無かったのだ。
 松原通りを西へ歩いたが、逆に東に歩くと鴨川に出る、その先が六波羅である、それを通り過ぎて坂道を上り詰めると清水寺である、常盤御前が牛若丸ら三人の子を抱いて一夜を明かすところである松原通りはやはり面白い。

     写真は新玉津島神社

新玉津島神社

英文は難しいか

 今日の新高校三年生「今日の英文はみんな長すぎないですか」 「長いのがいいですか、短いのがいいですか」 「丁度良い位のがいいです」 正直な答えです。
 英文は長くなっても、短すぎても苦労するようです。長くなるのは説明が次々と続くからであることが多い、この対策は文法では関係代名詞を主に、基本の構文を見抜く訓練をしなければならない。
 短すぎるのは省略が起こっている時が多い、この省略をきちんと補えるように訓練する、後は単語、熟語の知識を増やしていく、英語の力は必ず伸びてくるものだ。

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