京で義経に敗れた木曽義仲が大津にいる今井兼平を求めて、四宮河原を落ちていったのは寿永三年正月二十日であった。
「 去年信濃を出でしには五万余騎とぞきこえしに、今日四宮河原をすぐるには主従七騎となりにけり」
その後、一の谷の合戦で生け捕られた本三位中将平重衡が鎌倉へ護送されて、この四宮河原を通るのが寿永三年三月十日、義仲のわずか五十日ほど後である。
山科の東,このあたりを四宮と呼ぶのは仁明天皇の皇子人康親王(さねやす)が出家してここに隠棲したからである。親王は四男、四宮であった。
JR山科駅のすぐ東に諸羽神社がある。神社に向かって、参道の右手に親王の隠棲の地を示す石碑が立っている。神社を出て三百メートルも行くと京都と大津を結ぶ、旧三条通りに行き当たる、ここを左、大津の方へ曲がると六地蔵の一つ、山科六地蔵徳林庵の前に出る。徳林庵の入り口の右に人康親王と蝉丸の供養塔がある。
徳林庵の西の道を北へ行くと十禅寺に突き当たる、ここに人康親王の御陵があるそうだが、二度ほど行ってみたがいつも門が閉まっていて御陵は見ていない。
写真は人康親王の隠棲地を示す石碑と供養塔
テーマ : 京の歴史散策 - ジャンル : 日記
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