浄禅寺の方へ向いて歩いている時、家の戸が開いて自転車を押して出てきた人がある。驚いた声で呼び止められ、こちらもびっくりした。知り合いの正木さんであった。何でここを歩いているのかと聞かれたので、二つ目の恋塚寺、浄禅寺をたづねていると答えるといろいろこのあたりのことを説明してくれた。今歩いているこの道が(鳥羽の作り道)に間違いないですかと聞くと、そうですよ、これが大昔からある(鳥羽の作り道)ですよと。
このすぐ西に西高瀬川が流れている、一寸法師が上陸したのはこの川ですよと正木さんはえらく力を込めて言う。御伽草子は一寸法師が
< 住吉の浦より御器〈お椀)を舟としてうち乗りて都へぞ上りける。かくて鳥羽の津に着きしかば、そこもとに乗り捨てて都へ上り > やがてまたその後、三条の宰相殿の姫君を妻としてつれて
< 難波の浦へも行かばやと鳥羽の津より舟に乗り給ふ > と書いてある。
この鳥羽の津がここだと正木さんは言う。小学校の時、先生に連れられて川辺に下り、水面をぴしゃぴしゃたたきながら、ここに一寸法師が上陸したのだと教えられたというのである。京は面白いところだ、こんな話がいたるところにあるのかもしれない。
テーマ : 京の歴史散策 - ジャンル : 日記
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