富士川が見たくなった。東海道線を行き来する時、窓の外に見ることはあったが、川面に腰を下ろして富士川から富士山も見たくなったのである。
治承四年<1180>十月二十四日、源平両軍の矢合せを前に、その前夜富士の沼に群れていた水鳥が立つ羽音に驚いた平家は一戦もせず逃げ帰る。この平家物語の舞台に行きたかったのである。
富士川駅で下車して東に向かって歩く。道々、平家は何故一戦もせずに逃げ帰ったのだろう、この戦いが平家の運命を決したのにと考えた。富士川の堤に座して、この日はあいにくの雨で富士山は全く見えなかったが、富士山の方を見ながら考え続けた。
第一に思い浮かんだのは、今日ここに来て見ると京からは富士川は遠かったと言うことである。平家物語で日付を追ってみると
九月十八日、福原都、出発 九月十九日、旧都京都着 九月二十日、京都出発
十月十六日、清見ケ関(清水市興津)着
一月かかっている。みなずいぶん疲れきっていたことだろう。
二つ目は京を出る時の三万騎が七万騎に増えてはいるが、この数は平家の予想よりは少なかったのだろう。それに戦意も乏しくお互いが疑心暗鬼になっている寄せ集めの軍団だったのだろう。平家物語は忠清に< 味方の御勢は七万余騎とは申せども、国国のかり武者共なり。馬も人もせめふせて候ふ。 >と語らせている。水鳥の羽音でなくても、何かあればぱっと逃げ散る軍団であったのだろう。三つ目はそんな軍団を指揮するには大将軍維盛<平清盛嫡孫>は血筋は良いが、実戦の経験も無く、若すぎて<当時23歳>貫禄不足であったろう。
源三位頼政を宇治に攻めた時の将軍、新中納言知盛が、この時大将軍であったら違っていただろう。清盛の人選の誤りと思わざるを得ない。そんなことを考えた。
写真は富士川

テーマ : 歴史散策 - ジャンル : 日記
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