寿永二年<1183>になると、前年と変わって急に平家の周りはあわただしくなる。北国に木曾義仲を征討に行って、かえって大敗して義仲の京入りを前に平家の都落が始まる。主上都落、維盛都落、忠度都落、経正都落と続く。薩摩守忠度の都落も印象深いが、私には経正都落の方が面白い。
皇后宮の亮経正は琵琶の名手である。先年、仁和寺の御室よりいただいた琵琶の名器青山を、都の外に持ち出し、さしもの名器を田舎の塵になすのは口惜と、別れの挨拶と同時に青山を返しに仁和寺を訪れる。
すでに武装している経正は、それを憚り門前で馬を下りただ口上のみを申し上げようとするが、御室は< ただその姿を改めずして参れ >と呼びいれ、なお御前の御坪庭に畏まる経正を< これへ、これへ >と大床の上に召して
あかずして わかるる君が 名残をば
のちのかたみに つつみてぞおく
と青山を受け取り、経正も
くれ竹の 筧の水は かはれども
なほすみあかぬ 宮のうちかな
とお暇を申し上げる。経正が八歳で仁和寺に入った時の御室は覚性法親王〈鳥羽天皇皇子〉、今別れを告げる御室は守覚法親王〈後白河天皇皇子〉、御室が変わったことを〈水は変われども〉と言っている。全山の人が名残を惜しむ中、大納言法印行慶は桂川までおくり、ここで泣く泣く別れる。
その後、経正は、ここは平家物語を読もう。
< さて巻いて持たせられたる赤旗、ざっとさしあげたり。あそこ、ここにひかえて待ち奉る侍共「あわや」とて馳せ集まり、その勢百騎ばかり、鞭をあげ駒をはやめて、程なく行幸におっつきたてまつる。 >雅人経正があざやかに武人経正に変身する。安徳天皇を追う馬上の経正が目に浮かぶ。
あわれ、わずか七ヵ月後その経正は一の谷の合戦で川越重房に討たれる。
経正は仁和寺から桂川までどの道を行ったのだろう、山門を出て双ケ丘の西の麓をとうり、天神川沿いに四条大路に出て、そこを西に桂川まで行ったと想像して私はその道を歩いたみた。
写真は仁和寺と桂川

テーマ : 京の歴史散策 - ジャンル : 日記
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