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木曾殿最後 その2

 法住寺合戦(十一月)に快勝した後、年があけ正月十三日には頼朝が送った大軍がすでに伊勢、美濃に到着したことが判明。瀬田には範頼の率いる三万五千余騎,搦め手の宇治は義経の率いる二万五千余騎、合計六万余騎。迎え撃つ義仲勢は瀬田に今井兼平八白余騎、宇治は五百余騎、一口(いもあらい)に義仲の伯父義憲の率いる三百余騎、この時樋口兼光は五百余騎を率いて十郎行家を討つため河内長野にいる。合計しても二千を少し超えるくらいだ。
 法住寺合戦の時六、七千いたのが残りは何処へいったのか。逃げ散ったのだ。六万の大軍を迎え、勝算の無い戦いに名も無き兵士が逃げ散っても責められないが、その中で尚二千余騎が残ったことの方が驚きである。
 佐々木高綱、梶原景季の宇治川先陣争いは有名だが、戦いは一方的なもので「しばし支えて、散々にかけなされ、伏見をさしてぞおちゆきける」 というのが平家物語の記す所である。
 続々と義経軍が京に入ってくる中、義仲が六条河原に出てきた時、その勢百騎に過ぎなかったが、ここからの義仲の奮戦はすさまじい。が最後に今井兼平を求めて六条河原をかけ破り三条河原、粟田口を通り、「 去年、信濃を出でしには五万余騎ときこえしに、今日四の宮河原を過ぐるには主従七騎となりにけり。」 
 その七騎の中に巴御前も入っている。やがてこれも五十騎ほどに打ちなされた兼平と打出の浜で出会うことができた。
 京津線大谷駅で下車、大津へ向かって歩くと大変な山の中だ。逢坂の跡、関の清水を越え真っ直ぐ行けば浜大津だが、途中に旧東海道とあつたので右に折れそれを進む。まもなくめざす義仲寺の前に出た.寺を出て再び旧東海道を歩いていると、道標を見失い、東海道にはぐれた。後は見当をつけてすすむ。何とか石山駅に着けた。今井兼平の墓所はJR石山駅のすぐ近くにあった。堂々としたものだった。


     写真は義仲寺と兼平の墓所

義仲寺 兼平の墓所



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